手のひらにそっと乗せたまま、眺めておけばよかった。
それともそのままぱくっと食べてしまえばよかった。
握っちゃいけなかったのに。

握りしめた手の中、ちいさくべたべたとした、あまいにがいかたまり。




「行かないよ?あんなあったま悪い高校」


そう言ったことを後になって何度悔んだことか。でもその時は絶対行きたくないと思っていた。

「あぁぁら!そぉお!」

ママはとっても喜んだ。ママは漫画から抜け出てきたような教育ママに、いまさら変身していた。働いているママの方がさばさばしてて、かっこよくて、輝いてて、(放任主義で、)好きだったのに。
私の学力ではもっと上が狙えるのにと、日々悔しく思っていることは知っていた。説得こそされなかったが、提案くらいは何回かされたことがある。

「あら、そう!ほんとぉ!そうね、銀八くんとは先生になって、職場で一緒に働けばいいものね」

口調まで変わらなくていいのに。
前のママだったらこうだ。「あっそ、そうだね、銀八とは先生になってから職場で一緒に働きゃあいいもんね」。今の口調じゃなんだかおかまさんみたいだ。

「銀ちゃんとかどうでもいいじゃん。大体先生とかならんし」
「あぁぁぁら!そぅぉぉぉお!」

銀ちゃんのこともよく思ってないことも知っていた。いつもだらっとした格好をしているし、パチンコが好きだし、煙草を吸うからだ。
これも昔はあまり気にとめていなかったようだが、仕事を辞めて、教育ママ的立場から考えて、よくはないと判断したらしい。
銀ちゃんは銀ちゃんで、言葉にはしないが、子供が小さい時に放っておくような親のことはよく思っていないようで(教師だし)、ママと話すときはいつもそっけない態度だから、余計そうなるんだと思う。
それでも私が今も銀ちゃんと付き合いがあることをうるさく言わないのは、ばあちゃんが死んだあと、私がいつも面倒を見てもらっていたという負い目があるからだ。


まあそれはいいとして、「行かないよ?」のきっかけとなった出来事について話そうと思う。

私は、小さいころから銀ちゃんが好きだった。
共働きの両親が忙しい時、相手をしてくれる近所のお兄ちゃんで、大抵暇を持て余していて、大抵ちゃんと相手をしてくれた。そして私を時々しか子供あつかいしなかった。
銀ちゃんと遊ぶのは楽しかった。銀ちゃんはいろいろ頭のいいことを知っていて、幼稚園に入ってから、まわりの同級生の低レベルさにがっかりしたものだった。


、コスモスの花言葉知ってっかぁ」
「今日はくす玉折るぞー。まずパーツたくさん作ってから組み立てんだ」
「かき氷食べに行かねぇ?俺穴場しってんだけど」
「バーカ、ガキがそんなこと言うんじゃねー」
「しってると便利だからこれ覚えとけ」


銀ちゃんが学校の先生になってからも、銀ちゃんの高校の話を聞くのも、写真を見るのも好きだった。

最初は銀ちゃんが押しつけられた一枚の写真で、それについての銀ちゃんのかったるそうな解説を聞いて、はまった。
私がせがむと、銀ちゃんは行事のたびに何枚か写真を持って帰ってきてくれるようになった。

その日も、銀ちゃんは前の月にあった文化祭の写真を持って帰って来てくれた。ぽいっと渡されたかわいい封筒には、ある程度厚みがある。


「この前の文化祭の写真ー?」
「おー」

白衣、その次に靴下。ぽいぽいと身につけているものを脱ぎながら、バスルームに向かいながら、ぞんざいに銀ちゃんが答えた。
わたしは写真の束を取り出して一番上の写真から見はじめた。
学ランの、可愛い男の子が、もう一人の男子生徒を右ひじで突き飛ばして、かつ笑顔で左手でピースを作っている写真。エプロンを付けた女の子たちに囲まれている。

(あ、沖田君だ!)

実はいいな、と思っていたりした。会ったことも話したこともないけど。志望校が銀魂高校なのは、銀ちゃんがいることもあるけど、2割くらいは沖田君と会ってみたいと思う気持ちのせいだった。
銀ちゃんから、沖田くんのドSエピソードは数多く聞いていたけれど、写真のなかに見つけるたびにどきっとするのだから、恋なのかもしれなかった。
突き飛ばされているのは多分、土方君。

「そいつら風紀だからあんまはっちゃけた格好してねーんだよな」

じっと見入っていると銀ちゃんが上半身裸で帰って来て言った。

「うわっ」

私は慌てた。銀ちゃんの上半身裸なんて見慣れてるから平気だが、沖田君を見ていたことがバレると恥ずかしい。

「今年の文化祭は結構大変だったんだぜェ。俺大活躍だったんだから」
「しってるしってる。何回も聞いたじゃん、その話」

適当に流しながら、沖田君の写真を後ろに回す。銀ちゃんが凄いのは昔からしってますぅ。
妙ちゃんと近藤君の夫婦漫才のようなほのぼの写真(近藤君は痛そうだけど)、山崎君が土方君に思いっきり叩かれている写真、長谷川君がエプロン姿で泣いている写真。よくこんなの撮れたなあという名場面ばかりの写真たちを、銀ちゃんの話をうんうんと聞きながら眺めていると、その一枚があった。

「・・・・・・」

私はその写真を凝視して固まった。

少し驚いた顔の銀ちゃん。

そして、銀ちゃんにほっぺちゅうしている透けるような金髪の巨乳美人。顔に傷があるけど、すごい美人だ。
ほっぺなんか真っ赤にしちゃって、ちょっと体勢が崩れてるみたいだから、誰かに押されてこうなったのかも。
そしたら、この後銀ちゃんが抱きとめたりしたかもしれない。

おいおい大丈夫かよ、とか言って。

その光景を想像しただけで体の奥のもやもやがぐあっと強くなった。きもちわるいきもちわるい。すぐにわかった。私は、嫉妬していた。

「ああ、それ教師だよ」

のんびりと銀ちゃんが言うのを聞いて、さらにむかむかした。

「巨乳だろ?そいつ」

嫉妬嫉妬嫉妬嫉妬
私の中では勝手にビデオテープが再生された(あ、古いな。DVD?)。


『坂田先生、今夜空いてますか?』
『空いてますけど』
『一緒に飲みに行きません?』
『いいですよ』

銀ちゃんが敬語なんか使って、同僚に気を遣って、いや、気を遣うまでもなくあの巨乳にふらふら誘われて一緒に飲みに行って、楽しく話してお酒を飲んで、私にはできないことのオンパレード!
かーっと頭に血が上ったようになって、私は写真の束をぐしゃぐしゃ手でかきまわして立ち上がった。

「もう帰る!」
「え?なんで怒ったの!大丈夫だからまだまだ成長するから!そんな程度で止まったりしねえから!お前のかーちゃん見てみろよ超巨乳じゃねーか!」

そんなんじゃない!!!!
もう口に出すこともできず、私は多分顔を憤りで真っ赤にして銀ちゃんの家を出た。



・・・・・・こういうわけで私は「行かないよ?」の暴言を吐くに至ったのだった。
正直、自分がこんなに銀ちゃんに執着しているとは気付いていなかった。
銀ちゃんはずっとお兄ちゃんで、沖田君の彼女になりたいなあなんて思ったことはあっても、銀ちゃんの彼女になりたいと思っていたのは、幼稚園までだった。
銀ちゃんに抱いていたのは、ふわふわとした、憧れ。
大体、歳が離れすぎている。
私の2倍ちかく、銀ちゃんは生きているのだ。
銀ちゃんの巨乳好きは前からしっていたし、どう考えてもあの先生の方が銀ちゃんに釣り合う。

それから私は銀ちゃんに会うのをやめた。
もともと私が銀ちゃんに会いに行っていたので、会おうとしなければ簡単に会わずに済んだ。
そのことに気づいて、すこし寂しかった。




それから何カ月か過ぎて、猛勉強、とは言い難い勉強の末(銀魂高校以外ならどこでもいいと思っていたから)、私は見事志望校に合格した。
合格発表の掲示板の前に、所在なく佇む私の目の前に、花束が差し出された。
花束をつかむ見慣れた手、腕をたどって一回下に目線をやって、それからそろそろと顔まで持っていく。

、合格おめでとう」

どっきゅん
一昔前の少女漫画のような音を立てて私の心臓が動いた。
ぎゅうっと縮まって、それから跳ねる。

「おめでとさん。よく頑張ったじゃねーか。合格に免じてさァ、ここはひとつ仲直りしてくれや」

あーあ。

恋するまいと思ったのに。離れててあげたのに。
考えないようにしてたのに。もう忘れたと思ったのに。
私はためいきをひとつついた。

そして、

「いーよ」

にっこりと笑ってやった。

「その代わり、覚悟してなよ」

握りしめた手を、銀ちゃんの鼻先につきつける。






手のひらにそっと乗せたまま、眺めておけばよかった。
それともそのままぱくっと食べてしまえばよかった。
握っちゃいけなかったのに。

握りしめた手の中、ちいさくべたべたとした、あまいにがい、そして意外とおいしい、愛おしい、かたまり。









綿飴みたいな恋ごころ







「いやあ、私、ほんと銀魂高校行かなくてよかったわー」
「ちょ、ちゃんそんなに俺の授業受けたくなかったわけ?」
「まあ、それもあるけど」
「それもあるの?!」
「銀魂高校の生徒だったら、こうやって銀ちゃんとお祭りデート行くこともできなかっただろうなあと思って」

「デート」という言葉を意識して使う。
すれ違った銀魂高校の生徒たちに、手に持った、箸にささった綿飴を振って、得意げな笑みを見せ、銀ちゃんが挨拶をすればつつましやかな彼女の振りをして、私はすごく、満足である。












後日談だけが夏。


「綿飴みたいな恋ごころ」summer ave.様提出/20100818空野蛙