はフォークとスプーンとナイフの使い分けに悩むのを諦めて、皿の上の芸術的な料理をぺろっとたいらげてしまい、食べ物ではなさそうな葉っぱをフォークでつついていた。
なぜこんなにゆっくりと料理が運ばれてくるのだろうか。

はいい男とつきあっている。
高学歴、高収入、高身長の三高はもちろんおさえて、しかもいけめんでやさしい彼氏だ。
の母の従弟、吉田松陽。

さんさん、おいしいですか?」
「・・・・・・」
さんお口に合いませんでした?」
「・・・・・・」
さん返事してください」
「・・・・・・」
さんさん」
「松おにいちゃん・・・・・・」
「はい、なんですか?」
「外では敬語は止めてって言ったでしょう?さっきお料理持ってきた人なんか私見てびくびくしてたじゃない!もう27の男がどうして女子高生に敬語使うのよ!」
「美しい日本語を遣う事は決して悪いことではないと思いますよ、さん」

が荒げた語尾をそっとおさえるように、松陽はにこにこと言った。がぷっとふくれて押し黙ると、松陽は丸くなったのほっぺたをつついた。

「それで?おいしいですか、さん」
「すっごく、おいしいですぅぅ」
「よかった」

松陽が一層深く微笑んで、きらきらして、は真っ赤になる。
慌てて別の事を考えようとして、そして、そこでやっと思い出した。

「松にいちゃん!私お返しはいらないって言ったじゃん!」
「あれ?そうでしたっけ?」
「忘れたふりしないの!バレンタインデーから毎日のように言ってたでしょ!いっつもごちそうになってるからって!」
「うーん・・・・・・でも、予約してしまったのに行かないのは申し訳ないでしょう」
「うううう・・・・・・じゃあここのお金割り勘だからね」
さん」

松陽がたしなめるような声を出した。今回はは悪くない、そう思って聞き返した。

「なに?」

松陽はまたにっこりと笑った。今度ははぐらかすように。

「ところでさん、学校は楽しいですか?」
「うん、楽しいよ!」

は嬉々として食い付いた。
今三年生は受験で大わらわだが、二年生には関係ない。クラスマッチだったり、予餞会だったりですごく楽しいのだ。
ぺらぺらと夢中になって話しているうちに、昨日読んだ雑誌の記事をはっと思いだした。
『男の人は自分の話を聞いてもらいたいと思っているもの。自分ばかり話すと嫌われます』
(ああああどうしよう!)
青くなって突然話をやめたに松陽が首を傾げた。

さん、どうしたんですか?」
「し、松にいちゃんは?会社どう?」
「私のことはどうでも良いですよ。私はもっとさんのお話が聞きたいです」
「え、そう?」
「私のことはどうでも良いですが、先ほどからしばしば出てくる『坂田』さん、その人は男性ですか、女性ですか」
「ん?坂田?男だよ?」
「そうですか」

松陽の形の良い眉がきゅっと寄った。
考え込むような表情をする。

「坂田がどうしたの?」
「あまり聞いたことがない名ですね」
「あ、そうだね、坂田とはバレンタインのときぐらいから仲良くなったもん」
「バレンタイン?」

松陽が顔を険しくした。

「なぜバレンタインデーに仲良くなるんです?」
「クラス用に大量に 作りすぎたチョコレートケーキの余りを坂田が全部食べてくれてさあ、美味しい美味しいって絶賛してくれたんだよねえ」
「とても美味しかったですよ」
「え?」
さんが作ってくださったチョコレートケーキ、とても美味しかったです」
「そりゃあ、松にいちゃんにあげる分は、特別気合い入れて作ったもん」
「そうですか」

松陽はすこし顔を緩ませた。
は顔を伏せて口元を隠した。にやにや笑いが止まりそうになかったからだ。
いまさら褒めてくれなくても松陽はバレンタイン当日に坂田なんかよりずっとずっと褒め称えてくれたし、それが嬉しいのもあったが、

松にいちゃんが嫉妬してくれるなんて最高のホワイトデー!

「あのね、クラスに作ってった分と、松にいちゃんの分は、ケーキの種類から違うんだからね。クラスに持ってったのは安い材料でたくさん作れるやつ。松にいちゃんのは一点モノ。」
「そうですか」

松陽がふふ、といつもの微笑みを口からこぼした。
は松陽の笑い方が小さいころから大好きだ。松くんはいつもにこにこしてるのね、とよく言われていたが、にはちゃんと表情の違いがわかった。

一流の大学を出て、一流の会社に入った松陽は親戚のなかで聖人君子みたいに崇められて、は何かと比較されてきたが、まったく腹は立たなかった。
松陽が大好きだったからだ。
大好きだったから松陽が聖人君子じゃないこともわかっていたし、松陽がのことを一番可愛がってくれているのもわかっていた。



レストランを出て(私が気付かない間に松にいちゃんは会計を済ませていた!松にいちゃんは忍術でも使えるのかもしれない)夜の街を連れだって(半分払う!とが食ってかかり、松陽がそれを流しながら)歩き、ショーウィンドウが煌びやかになってきたところで、松陽がの腕を引いた。

「なに?松にいちゃん」

が松陽を見上げると、松陽は一つのブティックを指差した。

「このお店入ってみませんか?」
「松にいちゃん・・・悪い予感しかしないんだけど」

その店のショーウィンドウにはが普段とてもじゃないけど(経済的な意味ではなく)手が出ないようなひらひらふわふわの真白いワンピースだとか、おひめさまみたいなぴんくの靴だとかが飾ってあった。
いかにも松陽が好きそうな、「お洋服」。

「先に念を押しておくけど、私、お返しいらないって言ったよ」
「そうですねえ・・・・・・でも、注文したのに買いに行かないのは申し訳ないでしょう?」
「松にいちゃん!?それさっきと一緒!」
「まあまあ、では着てみるだけでも」

そうして松陽に流されて頭のてっぺんから足の先まで試着して、絶賛する松陽に乗せられてついつい頷いてしまうのだったけど。
白いリボンで髪を結わえて、白いブラウスに白い二―ハイ、ハイウエストで幅広の黒いびろうどのリボンを締めて、薄い生地を何枚も重ねた膝丈の空色のスカート、ブラウスの襟元のちょうちょ結びの紐は赤、赤エナメルのおにんぎょさんみたいなくつに、寒いだろうからとショート丈の紺のカーディガンを羽織らされて、まるっきり昭和のお嬢さん。
クラスの男子に絶対会いたくない。
だけれども松陽が、それからを見るたびにとろけそうな笑みを浮かべるので、まんざらでもなかった(でもそれは日頃からそうだったかもしれない)。
絶対自分では買わない服だったから、うれしかったし。


ふらふらとはしゃいだ夜の街をそぞろ歩いて、とっても大人になった気持ちがして、でも松陽はきっちりとを午前零時までに家に送り届けるのが決まりだ(私のシンデレラ、なんて囁いたりして)。

おやすみ松にいちゃん。おやすみ。と挨拶を交わして、そのときだ。

松陽がの首に両腕を回して、松陽のシャツの間近までの顔が近づいて、がまた真っ赤になって、(松にいちゃんいいにおいがする!)と思った次の瞬間。
松陽がから離れると同時に、の胸元で涼しい音が鳴った。
春の月に煌めく、ほそいほそいぎんいろのくさり。小さなお花を象った金属の枠に光るのは、おそらくイミテーションではない。
たぶんおそろしく高価で、それでいて、女の子らしい。一番贅沢なかざりもの。

ふぅ、とは最後は胸の中だけでため息をつく。子供になんでもかんでも買い与えてはいけません!100円のプラスチックのネックレスでもあげとけばいいんです!
は手に取ってしげしげと眺める。きゅきゅきゅん、と胸のときめく音がした。
なんって可愛いお花!

そして、何か奇跡を讃えるような目をしてを見ている松陽に飛びついて言った。


「ありがとう松にいちゃん!すぅっごくうれしい!!!」





(一緒に居たいだけなのに。なぁ)

まったく、松にいちゃんったら。





2011/02/14 HAPPY VALENTINE'S DAY! 空野 蛙