「今から夕飯の準備なんですけど、麻婆豆腐、食べます?」
ナチュラルに夕飯の誘いをかけてくる少女。
この状況は一体なんだろうか。
「まーぼー・・・うん・・・」
そして、自然に答えてしまう俺はなんのつもりなんだろうか。
「あれ、でも食べれますかね?ユーレイさんでしたよね?」
「あー・・・そーね・・・」
「まあやってみるにこしたことはないですね」
自己完結をして台所に向かう彼女の後姿をぼんやりと眺める。
高揚した後姿だった。
俺なんかに会えて何が嬉しいのか彼女は明らかにテンションを上げている。
むしろ他の人に見えてないものが見えることで少しは俺に不信感を持ってもいいんじゃないかと思うが。
「笹塚さぁーん」
「?」
「ちょ、記号だけで会話するの止めて下さいよ・・・まぁ、いいですけど」
トントン、と軽快に包丁を鳴らしながら彼女が声を掛けてくる。
俺に話しかけながらも手元をちゃんと見ていて、その声は先ほどよりくぐもって聞こえた。
「笹塚さん、この世界に来て、あたしに会うまで、どのくらいありました?」
ん?・・・なんだこの理解の良さは?
って言うか俺、別世界から来たって教えたっけ・・・?いや、教えてないだろ。言う暇なかったし。
なんで分かってるんだ。俺、そんな行動したかな。
「・・・この世界って」
「だから、笹塚さんが前居たせか・・・あ」
彼女も気づいたようで包丁の手が急に止まる。
「あ」
片手に包丁を持ったまま彼女は呆然と俺の顔を見た。
「いや、その・・・・・・うん」
2、3回瞬きをしてから彼女は手元に目を落とし、野菜を切る作業を再開した。
もしかしなくても、流すつもりだろうか。
「・・・ねぇ」
「あ、ハイ」
微妙に俺の顔から逸らされる目。
「なんで俺が他の世界のユーレイって知ってるの」
「あー・・・知ってるというかなんというか」
彼女はぽりぽりと首を掻いた。
「第六感?・・・うーん・・・いや、」
そのまま頭を捻る。
今考えてます!と顔に書いてある。
「まぁ、気にしなくていーんじゃないですか」
「あんまり、良くない」
そうですか・・・と彼女は若干落ち込み気味な声を出す。
それから、こちらとしても心の準備がなかったわけで、と呟いた。
そりゃ、いきなり幽霊と知り合いになるとは思わなかっただろうけれど。
「・・・ぶっちゃけた話ですね」
「ん」
「あたし、結構笹塚さんの事知ってるんですよね」
「え」
「まぁ、そーゆーことで」
どーゆーことなのか分からないが。
ますます分からなくなったが。
俺はこちらの世界の事が分からないのに、彼女は俺の事が分かると言う。
やはりここは天国のような地獄のような場所で、彼女は天国で言うなら天使、地獄で言うなら鬼のような存在で、生前の俺の所業は全部知ってる、そういうわけだろうか。
死後の世界、なんて特に信じてはいなかったけど、別に無いに違いないと思っていたわけではなくて、いや、むしろそれが存在する事を否定する事で生きていたというかなんと言うか。
つまり、死後の世界が必ず幸せなものであることを。
やはり善人には然るべき、悪人には然るべき、死後の世界があるものだと。
「つまり・・・あれ、名前」
名前を聞いていなかったことに今更気づかされる。
彼女はああ、と顔を上げて、
「
です」
と一言。
名前を復唱して、漢字を教えてもらう。
さんは、俺の名前の漢字を、きっちり知っていた。
いやあ、なんかすみませんねぇ、知ってて。頭を掻く
さんに、それなら何故知ってるか教えて欲しいと思う。
「つまり
さんは、俺の、何なわけ・・・?」
「笹塚さんの?」
強いて言うならファンですかね、そう言って笑って、
さんは問答無用とばかりに料理を再開した。
なるほど、いわゆる『空の上』から『見守って』いたというのなら、そういう言い方もアリだろう。
まあとりあえず彼女から敵意は感じないわけだし(例え感じたにしてももう死んじまってるこの身には関係の無いことだけど)、ありがたく世話になろうか。
というか、
さんが他人でないと分かったからには(つまり、俺の生前を知っている存在なわけだから)、というかむしろ俺個人の物、いや、俺専属のコーチみたいなものだと分かったので、気は楽になったわけだ。
「なのか」
「え?・・・笹塚さん、何か言いました?」
「七日間、だよ。
さんに会うまで」
「あ、七日。そう、ですか」
さんは一瞬かちりと時間を止め、すぐにまた動き始めた。
どさどさと材料を鍋の中に入れていく。
麻婆豆腐ってあんな感じだったっけ・・・?
・・・・・・・・・
ああ、びっくりした。
あたしは鍋をかき混ぜながらぼんやりと思った。
そうか、なんで笹塚さんの事をあたしが知ってるか、とか、さすがに言えないよなぁ。
笹塚さんはさっきのアレで納得してくれたのか、いや、してないだろうな。
笹塚さんが、目の前にいることは、想像以上に(もちろん嬉しい事には変わりないのだが、)自然なことだった。
ぼーっと宙を眺めて何かを考える笹塚さん。
あたしの名前を復唱する笹塚さん。
その光景全てが、まるで、懐かしいもののようで。
込み上げるのは、一度死んだ人が目の前にいる嬉しさだけではなくて、例えようもない、切なさ。懐かしさ。愛しさ。
気を引き締めないと、色んなものに塗れた声が、笹塚さんの名前を辿って、こぼれてしまいそうだった。
(ささづか、さん)
声は頭の中にとどめて、唇を噛む。
ひどい、
いや、
もう、酷くないから。何も。
(・・・七日、って言ってたよね)
もう一人のあたしが向こうに飛ばされてから丁度七日。
これは偶然の一致なのかそれとも必然なのか。
・・・・・・・・・
「笹塚さぁーん、一緒寝ましょーよー」
「あのね・・・」
「いーじゃないですかぁ、どーせ笹塚さんユーレーだし」
と、言うより、
さんが人外だし。と思うのだが。
俺の方は麻婆豆腐だって食べれたし、
さんが近くにいるときはなんでも触れることに気づいた。
幽霊って言われても、ピンと来ない体になってしまった。
いや別に悪い事ではないけれど。
「あたし笹塚さんに会えて本っ当に嬉しかったんですー。会えないと思ってましたからー」
「そーなの・・・?」
てっきり
さんが俺の『担当』で、もうしっかり決まってたのかと思っていた。
それとも俺があんまりふらふらしたもんだから見失ったって意味かな。
「ベッドふかふかですよ?ほらー早く寝ないと湯冷めするー」
「
さん、だから、」
だから男をベッドに誘うような(事実誘っているのだけど)言い方は止めてほしい。
やっぱりワイン飲んだすぐ後に風呂に入るのをとめてやれば良かった。
髪からはシャンプーの匂い、全身から石鹸の匂いをぷんぷんさせて、
さんが迫ってくる。(いやだからそーゆー意味ではないんだけど)
その上気した肌と潤んだ目に、そそられない、とは言えない。
だから困る。
さんは言い方はアレだけど、同じベッドの上で、純粋に睡眠を摂ろうと言っているわけで、その状況でホントに男と寝るなんて言語道断だと思うんだけど。
「笹塚さんは居候なんだからー、あたしの言う事聞いてくれなくちゃ駄目なんですー」
「あー・・・どうしよ・・・」
「どうしよじゃなーいー、可愛く言っても駄目なもんは駄目ですー」
ほとほと困る。
・・・・・・・・・
(なんて幸せな睡眠!)
ふわふわの布団にくるまって、あたしは笹塚さんの体に回した腕にぎゅっと力を込めた。
あたたかい。けど、かたい。(筋肉マンめ!)
広いような狭いような胸板に頬を摺り寄せる。
「むぅ・・・」
「むぅ、じゃないでしょ・・・」
はーっと笹塚さんの溜息が頭上から降ってくる。
知るもんか!
あたしは笹塚さんの事を抱き枕にしたくてずっと待ってたんだぞ!
「笹塚さん」
「何」
「一緒に寝てくれて、ありがとーございまーす」
「・・・いーえ」
「ふふ」
あたしが笹塚さんの胸に顔を埋めたまま笑うと、笹塚さんは僅かに身じろぎをした。
くすぐったかったりするのだろうか。
「おやすみなさーい」
「はいはい」
笹塚さんの手があたしの乾かした髪をくしゃくしゃと撫でる。
それにきゅ、と目を強くつむると、笹塚さんは、猫みたいだな、と言って笑った。
2009/02/28
モドル