目が覚めると、目に知らない天井が映った。

知らない、よな?


うん。


どこだ、ここ。


ああ、そうか。


ここは、



(冷蔵庫の野菜室)



そう、それだけを覚えていればよかったんだ、あたしは。

くるり

あたしは寝返りを打って、


(ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!)


ま、待て待て待て待て。

ちょ、落ち着け


(落ち着けねーっつーのォォォォ!!!)


確かにあたしはジャンプの神様に『笹塚さんの隣に住』んでる設定で、ってお願いし・・・・・・


(こんなに近い隣じゃなくてェェェェェ!!!)


そう、寝返りを打ったあたしの顔の目の前には、


色素の薄い長い睫毛・・・

眠っている時もなお色濃く残るクマ・・・

寝不足の上にストレスとかもあるだろうにすべすべな肌・・・

さらさらとしたミルクティー色の髪・・・


(笹塚さんんんんんんん!!!)


笹塚さんはベッドに入ろうとして先客が居て入れなかったけど退かすのも忍びないと思ってくれたのかそこで力尽きたのか、ベットに腕と顔だけ預ける形で大殿籠られていた。


(どうしよう!あたしどうしよう!どどどどうし)

「ん・・・」

「!!!」


あたしが寝返りを打ったばかりの体勢で固まったままわたわたとしていると、笹塚さんが幽かに声を上げた。
寝起きの掠れた声が・・・・・・半端なく、エロい。

これ以上固まれはしないと思っていたあたしの体が雷に打たれたように固まり、呆然と笹塚さんの美しい寝顔を眺めていると、笹塚さんの形の良い眉がきゅ、と寄り、眉間に皺を作ると、

ぱちくり

そんな擬音を立てて薄い目蓋と綺麗に生え揃った睫毛が持ち上がり、つまり、
笹塚さんは目を開き、

嗚呼、

目が合った瞬間に、


私、
は、

恋に落ちました。



「あー・・・」



一目惚れってこんな感覚なのかっ!女、 、新発見!
一目惚れ!一生のうちに、することになるとは思わなかった!


「あんた、誰?」


寝起きの笹塚さんの声ェェェェェ!!!
低血圧最高!


「知り合い、じゃねーよな」


おおーっと聞き惚れてる場合じゃなかったよ!
固まってる場合じゃなかったよ!
でも・・・・・・やっべーの。
何て言ったらいいのか分かんないの。
頭回んねーの。


「ささ、づか、さん」


とっさに名前を呼べば、笹塚さんの目が大きく見開かれる。
そうだ、感情を露にする人ではなかった、と思っていたけれど、驚きの感情だけはきっちり出していたよなあ、この人は。
弥子ちゃんの放送事故の時とか弥子ちゃんのCM出演の時とか。
・・・・・・弥子ちゃんばっかじゃねーかコノヤロー。





・・・・・・・・・




名前を呼ばれて驚く。
俺は刑事になる少し前から、会った人間の顔は忘れないようにしてきたし、そんなに有名でもない、筈だ。
これまで担当した事件の被害者、とかそんなんではないことははっきりしてる。
と、なると、アレか。

大学生時代、家庭教師してやった子、とか。

いや・・・でもそうであったとしてもなんでその子がウチにいる?
どうやって入ってきた、ココに。
鍵はきっちり施錠されてた。
どの部屋の窓も壊れていない。

と、コレは昨日の夜も考えたこと、なんだけど。

分かんねー。


「あんた、どこから」


聞きかけて、はっとした。
目の前の少女の目から、すうっと涙が流れていた。
本人も気付いていないのか、拭おうともしない。
涙を流したまま、彼女は起き上がると、俺のベッドから落ちるように降り、ベッドにもたれかかっている俺のすぐ傍の床に座り込むと、昨夜適当に折りたたんで寝ちまったせいで、じん、と痺れている俺の脚の、膝辺りを掴んだ。

不可解だ。

でも身の危険は感じない。
彼女が力の無さそうな少女だからではなく、敵意を感じられないからでもなく、動きにすばやさが無いからでもなく、

何か、自分ととても近いものを感じる、から。
どう近いのかわからない。

わからないけど。




・・・・・・・・・




泣くもんか。

あたしはそう思った。

泣くもんか。笹塚さんは生きてる。
生きて、あたしの目の前にいるんだ、から。

目を落として、同じ物を三着かって着まわしているという、だけどその割には自分に似合う色をちゃんと分かっているのかそれとも意図せずしてなのか日本人にしては色素の薄い彼によく似合った薄茶色のスーツに包まれた笹塚さんのすらりとした脚を見る。
ここに抱きついても問題ないだろうか、そう考えるあたしは多分寝起きの低血圧で頭がおかしくなっているんだろう。

すとん、と漫画特有の音を背負ってあたしは重い頭を笹塚さんの膝に落とした。
笹塚さんが一瞬身構えるのが分かる。

手触りの良いスーツの生地から人工的でない柔らかい安心できる香を感じ取り、笹塚さんのにおいだ、と思う。
危険に晒されていない時の、笹塚さんのにおいだ、と思い直し、たまらなくなった。

血、とか、火薬、とか、そんな分かりやすい臭いとは無縁の、平和な香り。



ああ、彼はまだ。


でも、もう、彼は、



(大学生、じゃ、ない)



もう物語は始まってしまっていた。

くたびれたスーツ。
目の周りのクマ。
強く染み付いた煙草の臭い。
綺麗だけど、綺麗なんだけど、綺麗だからこそ、それによって奥の奥に押し隠している暗さを、やはり、知っているあたしだからこそやはり、認めてしまう双眸。

でも、手遅れ、では、ない、よね?

あたしは救える、筈だよね?



神様

ああ


どうかあたしに



力を






・・・・・・・・・






俺の膝に突っ伏して泣きじゃくる彼女を俺はどうしたらいいのか分からなかった。
だって俺は彼女の名前も知らない。


「なあ」


呼びかけるとびくん、と分かりやすく震える背中。


「はい」


泣きすぎで掠れた声は幼さをたっぷりと残したもので、俺は何か悪いことをしている気分になる。


「おたくがどーやってウチに入り込んだかどーかは分かんねーけど」

「あ」

「あー・・・そこはもう深く突っ込まないことにするよ」

「え、なんでですか」


なんでかと聞かれるとは思わなくて少し拍子抜けした。
こっちが聞かないと言っているのに。
確かに、はなから不法侵入、と言うか、人智を超えた侵入だと俺は思い込んでかかってた。

説明できる理由があるのか、もしかして。


「理由、聞いていいの」

「駄目ですけど」


駄目なのかよ、と力なく突っ込むと、すみません、と弱く笑った。
だから俺はなんで彼女が泣いたのかも聞かないことにする。
面倒だから。

何もかも放り出して俺は彼女を信頼してしまいたかった。

こんな選択肢が俺に残されていたとは驚きだ。
人を信用する?
しかも赤の他人を。
初対面の不審者を。
何年、やっていないことだろう。

本来、俺がやっていいことではないのに。


ただ、この目を赤く泣き腫らした少女から、立ち上ぼる物が、俺と非常に似ている、それだけで。
俺と似ているなんて、危険人物も甚だしい。それなのに。





・・・・・・・・・





笹塚さんは、あたしが突然現れたことについて何も聞かないと言った。
そんな無用心な人では無いだろう彼は。

寝起きの低血圧が生み出した奇跡だろうか。

だとすると彼の寝起きは絶えず見張っていなくてはならない誰彼構わず信頼してしまうとすれば恐ろしいからとあたしは決意を固めなおす。


あたしから微妙に視線をずらしながら朝飯、食う?と聞いてくれる彼に食べますと答えながらあたしは彼の目はまだ半分『向こう』に持って行かれてると思う。
いつも、彼の夢には彼らが出てきているのだろうか。

さっきあたしの傍らで目覚めた時も、彼はあの夢を見た後だったのだろうか。

常に彼の半分以上は彼らの為に存在している。

(あたしの半分が『あっちの世界』にあるのと同じように。心と体はそんなに違わない)

それを絶対に、百パーセントにしてはいけない。

それがあたしの使命なんだ、と。
使命、じゃない。
あたしの、今、一番『したいこと』。

『あっちの世界』で、『したいこと』が見つからなかったあたしにとって、それを与えてくれたこの世界は、いや、この人は。





・・・・・・・・・





俺が出した茶碗一杯の白米とコーヒーを摂取するその姿は、弥子ちゃんのように常人離れしたものではなく、至って普通、だった。
いや、弥子ちゃんみたいな女の子ばっかりだったらそりゃ、俺は人間に対する認識を改めなくてはいけないけど。


「意外だなあ」


そう彼女が呟くのを聞き逃しそうになって慌てて捕まえる。


「意外って何が」

「あ、いや」


少し焦ったような声で彼女は言い、小さく手を振った。


「何でもないです」

「そう?」


そういえば、何も聞かなかったけど、俺と同じで良かったのだろうか、朝食。
コーヒーに入れるミルクとか砂糖の類はもとから置いてないのだけど。

あ、そういえば飯喰うのがたるい時の為に砂糖はあったな。
カロリーが効率よく取れるから。


「砂糖とか要らなかった?」

「え」

「コーヒーに」

「ああ」


ブラックが好きなんで、と微笑む彼女に、良かった、と返しながら、これからどうしようと考える。
俺は彼女が気に入ってしまったし・・・

あれ、

気に入ったのか、俺。

気に入ったんだろうな。

全てを信頼してしまいたいと思う、なんて、気に入ったと言うしか。

そんなものを作らないと決めた同じ自分がそう言うのは可笑しい、けれど。
彼女がどこか『こちら』の物ではない雰囲気を持っているから、もしかするとどんな危険に晒されても彼女だけは不動であるような気がするから。
決して無責任にではなく、そう感じる。
強いて言うなら弥子ちゃん、あの助手に絶対的に守られている弥子ちゃんを見るときのような絶対的な安心感。
(それでも妹のような弥子ちゃんには少し、遠慮を感じるのだけど、やはり彼女のある程度の危険と引き換えに欲しいものが手に入る時は、大丈夫だろうと自分に言い聞かせてしまうんだろう俺はそういう奴だから)

だけど今俺の目の前でブラックコーヒーを両手でカップを包み込むようにしながら飲んでいる彼女は、そんな中途半端でない安心感を備えていて、何故だろうかと不思議になる。
なんだ、この不安定な世界で、妙に安定したこの存在。
でもその存在は胸騒ぎを引き起こすものでは全くなくて、いや、もういい。

結局俺は、この不思議な存在を、傍に置いておく理由が欲しいだけだ。
どーしよーもねーな、俺。

自分自身に溜息をつきながら俺は未だに大事そうにコーヒーを飲む少女を眺める。
猫舌なのかもしれない。

そうだ、この前知り合いからもらった林檎がまだ一つ残ってたな。
確か冷蔵庫に入れていた筈。

見てこようと俺は立ち上がった。





・・・・・・・・・




そういえばベッドも朝食もお世話になっておいて名乗ってないなあと思いながらコーヒーをまたひと啜り。

笹塚さんが突然ふらりと立ち上がったので、その後姿をじっくり堪能させてもらうことにする。
ああなんてカッコいいんだろう。

確か身長は181cm。
すらりと伸びた手足が高い身長のバランスを保っていて、ホント、素晴らしいとしか言いようが無い。
常に斜めに傾いだ顔や、時折ふらりとする上体すら、笹塚さんに限っては色気ポイントにしかならないのだから、凄い。


冷蔵庫の下の扉を開いてがさがさやっていた笹塚さんが(折れ曲がったその角度すらカッコいいの!)右手に林檎を掴んで起き上がる。

くしゃ、と何かを左手で掴んで、無表情に眺め、口を開いてあたしに呼びかけた。


さん?」

「はい」


・・・・・・あれ?なんであたしの名前?


「手紙届いてるけど」

「えっ」

「冷蔵庫の野菜室に」

(あれ、なんか聞いたことあるそのフレーズ。レイゾウコノヤサイシツ、れいぞうこのやさいしつ、冷蔵庫の野菜室・・・)


ああああああああああ!!!!
忘れてましたァァァァ!!
そうだったね!あったね、そんなの!
すまん、ジャンプのおっさんすまん!


あたしは苦笑いしながら、自分の名前がでかでかと書かれた白い(結構立派な)封筒を、笹塚さんの手から受け取った。




モドル