笹塚さんとあたしと猫(と笛吹さん)

 


「タマー、何してるのー?」


笹塚さんの、いつもどおりの、首を傾げた写真に、じゃれつくように、攻撃するように、パンチを繰り出している猫がいる。
タマだ。
笹塚さんがある日連れてきた猫。
でも飼わない、一人にさせるから、と言う笹塚さんに(いつものとおりの無表情。このひとは媚びたりしないから)、じゃあウチで飼いますと言うのは非常に悔しかったので、二人で飼いましょうと言った。
笹塚さんは笹塚さんの暇のある時に相手してやって下さいあたしはあたしの暇なときに餌をやりますと言って、つまりあたしが世話することになるんだろうなと思ったのだけれど思いのほかこの猫はどちらの家にも居つかなくて、外で寝ることを好んだ。
それは笹塚さんにあたしを訪問させる格好の口実にもなったので(タマ連れて来てくださいよー)あたしは嬉しくて、笹塚さんの疲労は少し増えたかもしれなかった。
でも不定期ではあるけれども月に数回はタマを連れてあたしを訪ねてきてくれる笹塚さんは、少しずつあたしに打ち解けてきてくれるようだった。

仕事の話も昔の話もしなかったけれど。
それが彼にとって一番大事なものだと知っていて、あたしは絶対にその話題に触れなかった。


怖かったんだ。

 


にゃあ。

(起きてたのか)
(えーし!えーしだ!あそぼー!)
(よーしよし......今日は遊べないんだ。ごめんな)
(あのこのところいこー?)
(ん?......あぁ、もう遅いからなあ)
(きょうも、おしごと?)
(......行くか)
(おしごとおわったらあそんでよ!あのこといっしょに!)

(わかったわかった。帰ってきたら......遊んでやるよ)

(ほんとに!?ぜったいだよ!)

(じゃーな)

にゃあ。

 

「笹塚さんはね、」


(おー、おはよー)
(おはよー)
(あ、煙草のにおい。笹塚さんに会ったの?いーなー)
(えーしあそんでくんなかった)
(ずっと、会ってないな)
(おしごとおわったら、あそんでくれるって!)
(笹塚さん、会いたい、です)


「そんなとこにはいないよ」

にゃあ。

(おしごとからかえってこないえーしなんて、きらいだ)

にゃあ。

「だからそんなのに怒っちゃダメ」

 

(お仕事、忙しいんですね)
(あー・・・・・・まーね)
(暇ができたら、タマと一緒に遊びに来て下さいよ)
(ん)
(えっと笹塚さん、)
(何?)
(い、いつごろ、また会えますか?)
(んー・・・)


(シュボ、と煙草にライターで火をつけて、かと思ったら、あたしとタマを見て、さりげなく消した)
(でも誤魔化された答えをもう一回訊く勇気はあたしにはなくて、)

 

(握手、して下さい)
(は?)
(握手。はい、手)


(酷く冷たい、ゆびだった)
(ぎゅ、と握る)
(しがみつくように、すがりつくように、ひきとめるように)
(あたしの手から笹塚さんの手へ、笹塚さんの手からあたしの手へ、体温が移る)
(でもふたつの手の温度が全く等しくなることはなかった)
(笹塚さんはすぐに、手を外すから)

 

(笹塚さん)

 

(目を覗き込んだら、どこまでも、綺麗で、綺麗で、こんなに綺麗な目の人は居ないんじゃないかと思った)
(そして少し、怖くなった)
(あんまり澄んでいて、あんまり清いものだから、この目はあたしなんか映してくれないんじゃないか、って)

 


笹塚さんのことを、あたしは一秒でも確かに捕まえていられていたんだろうか

一秒でも一緒に存在することが出来ていたんだろうか

笹塚さんは、分かられないよう、わかられないようにしていた。それは知ってる。

 

それでも。

 

わからなかった自分が悔しい。

 


(タマーっ!お前は可愛いなー!)
(・・・可愛いな)
(ですねーっ)
(俺も、撫でていい?)
(どーぞどーぞ)
(・・・・・・)
(えええええなんであたしですか!?)
(・・・可愛かったから)
(はあ!?)
(可愛かったから。あんたが)
(なっ、なななななな)

 


あたしはあの頃、貴方の笑顔が増えたことを、それが寂しげなものであっても、増えたことを、ただ単純に喜んでいた。

 


「何ですか、笛吹さん」
「笹塚、は」

 

笛吹さんは、タマに首ったけだった(後から可愛いものはみんな好きなんだと知ったけど)。
出会いはあたしが外でタマと遊んでいて、笹塚さんが家で寝ているときで、笛吹さんは電話するより早かったから(現場が我が家と笹塚さんの家の近くだったらしい)と言って笹塚さんを徒歩で迎えに来て、タマに一目ぼれした。

 

(オイ、そこの女)
(はい?)
(そ、その愛らしい猫の名前はなんと言う?)

 


(笹塚、は)
「え?」

 


(あれ)
(うすいさんがへんなこといってる)

(めずらしいな)
(うすいさんのじょうだん、)


(あ、はは)


(なんで、そんなこというのなんで、)

(ささづかさんうすいさんのいうことがわかりませんうそですよねささづかさんう、そ)

 

笛吹さんの言うことを聞くと頭が痛くなるようになった。
わんわんと何かが響くようになった。
前はそんなことなかったのに。
そして笹塚さんがタマと遊びに来てくれなくなって長い時間が過ぎ、笛吹さんがしょっちゅうタマに会いにくるようになった。
笹塚さんから、笛吹さんは偉い人だと聞いていたのに、大丈夫なんだろうか、タマの元に通い詰めたりなんか、して。

ああ、心配だ、心配。それだけ、それだけが。


「笛吹さん、またタマに会いに来たんですかー?怒られますよ?」

「笹塚の事、いい加減、受け入れてくれ」

「・・・・・・(ああ、頭が痛い)」

「受け入れて、泣いてやれ」

「・・・・・・(何も聞こえない)」

「泣いてやってくれ」

「・・・・・・(なに、も)」

「あいつも、辛いだろう」

「・・・・・・(何の話をしてるの)」

「お願いだ」

「・・・・・・笛吹さん」

「・・・」

「笹塚さんは、ズルいです」

「・・・・・・っ」

「タマを、置いていきました」

「・・・・・・ああ・・・っ!」

「ずるい、です、ほんとに」

「ああ・・・・・・嫌な、男だ、な」

 


思い出す。

あのうつくしい目を。

あの、綺麗で、最後の最後まで、あたしを映してくれることはなかった、あの目を。

 


(すきですとさえいわせてくれなかったあのひとのずるくてむごいやさしさはそれでもあたしをひとり、このさびしいせかいにひきとめるんだ)

 

 

「天国で幸せに」なんか、させてやらない。

 


(笹塚さん)

(今度、いつ会えますか)

(今度、いつ会えますか)

(今度、いつ会えますか)

(いつ、会えますか)


(いつまで会えないんですか)

(いつになったら会えますか)

(いつになるまで会えないんですか)

(いつになった、ら)


(いつになったら)
(貴方を、心から笑わせてあげることが出来るんだろう)

(いつになったら)
(貴方の、目に、あたしを映すことが出来るんだろう)


(いつになったら、)

(貴方に、会えますか)

 

 

(いつまであたしはいとしいいとしいあなたにあえないのでしょう?)

 

 

 

 

 

 

(・・・・・・永遠なんて、長すぎ、る、よ)

 

(ふ、と口に浮かぶ寂しげな笑みが、)
(んー、と誤魔化す柔らかい低い声が、)
(シュボ、と煙草に火を点ける仕草が、)

(目の前にフラッシュバックして 消 え た)

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、笹塚さん。

あなたの愛すべき上司は、あなたの事件のファイルを丸ごと置いて行きましたよ。
あたしがあなたの死を受け入れるきっかけになればとでも思ったのか、聞く耳を持たないあたしに繰り返し繰り返し、それはそれは詳しく、『その時』の状況も話して聞かせてくれました(デリカシーの無い彼ならではの発想です。全くもって)。

『タマがあたしの世話を必要としなくなる頃』には、あたしが復讐を諦めていると、恨みを忘れていると、思いましたか?


甘いですよ笹塚さん。

あたしがそれほど笹塚さんのことを想っていないとでも?

依存しまくりですよ。


タマはオスです。子どもを産みません。

笹塚さん。
あなたのように頭のいい人間でなくとも、十数年の年月をかければ、それなりに使える計画を生み出すモンです。


だけど、楽ですね、笹塚さん?

後の発覚を恐れない殺し、というのは。
いや、もちろん楽で済ますことが出来るほど、簡単なものだとは思っていません。
犯人だと割り出されることを避けながらの計画よりは数倍楽だろう、ということです。

(ただ、惜しむらくはあの魔人の大好きな謎を生まないという事)

 


さて、あたしは演技を始めましょう。

大好きな笹塚さんの死から少しずつ立ち直っていく健気な女、けれども復讐なんて考えられもしないか弱い女、の役の演技を。

(けれど、涙は流せそうにありません。笑えそうにもありません。笹塚さん、あたしはあなたになれるでしょうか)

敵を騙すにはまず味方からと言います。

 

ああ、噂をすれば笛吹さんが慌てて戻ってくるようです。窓からちらりと車が見えました。

ファイルを忘れたことに気付いたのでしょう。


そして彼はきっとあたしに中身を見たか尋ねます。

あたしはいいえと首を振るでしょう。
あるいはまさかと呟くでしょう。

彼はそうか別にたいしたことのないモノなんだがと嘘をつくでしょう。


あたしが全てのコピーを持っているとも知らずに。

まだ正式なものではないのか、走り書きされた書類には、コピー避けすら入っていませんでした。
そういうことにはきっちりしている笛吹さんにしては、不注意なことです。

彼は彼なりに、あなたがいなくなってしまったことに、動揺し、衝撃を受けているのでしょう。


そう思うと、彼にはすまないと感じます。

だけどこの役目だけは彼に譲ってはいけないと思うのです。

あたしのものです。ね?笹塚さん。

 

 

 


がちゃり。玄関のドアが開きました。


(It’s a showtime) 

 

長い長い、喜劇の幕開けです。

 

 

 

 2008/12/15 追悼(笹塚衛士追悼企画ハッピーエンドの向こう側様提出)

モドル