ぴりり、朝飯当番に珍しく早起きした神楽が万事屋の日めくりカレンダーを破る。


「10月10日・・・新八、今日何の日ネ。でっかくマルしてあるヨ」
「神楽ちゃんコレ、多分丸じゃなくてハートだよ」
「るせーよ駄眼鏡」
「すんまっせん神楽さんんんんん!・・・・・・なんだっけね?仕事の予定とかあったっけ?」
「あ、わかったアル!体育の日ヨ!な!新八!」
「な!じゃねーよ。体育の日は結構前から10日じゃなくなったじゃん。」

新八はぺらぺらとカレンダーをめくった。

「ほら、12日に書いてある・・・。それに体育の日をハートで囲む理由がわからないしね」
「やるな新八!でも私は認めん!認めんぞ!」
「いや、神楽ちゃん一人認めなくても何も変わらないから・・・・・・あ」
「なんだ!何か発見したでございますか隊長!」
「見て見て!10日はホラ!大安だよ!」
「・・・たいあん・・・?大量のあんこがどうしたアルか?」
「うん、それだったらハートマークの理由もわかるし・・・。あ、なーるほど」
「一人で納得してんじゃねーヨボケェェェェェ!!!」
「げっふぅぅぅぅ!ちょ、痛いよ神楽ちゃん!わかった、教えるから拳をおさめて!」
「あ、ひらめいたアル!大安、愛のハートマーク・・・・・・・ズバリ、結婚式アルな!!」
「アレ、何コレ?僕、殴られ損・・・?」
「きゃー、坂田さん結婚しちゃうのー?ワタクシというものがありながらぁ?しんじらんなーい!」
「いやいや、銀さんが結婚するわけないじゃない。多分誰か友達の結婚式だよ」
「うっほーい!じゃ、今夜はご馳走アルか?!」
「うーん・・・どうかなぁ・・・銀さん連れてってくれるかなぁ・・・」

「連れてってくれるかなぁ、じゃあるかァァァァァ!!!この冷血人間ズめ!!!恐るべき子供たちめ!!!」


ぱしーん!たしーん!

今までカレンダーを囲んで騒いでいる二人の後ろでぷるぷる震えていた銀時は、二人の頭をはたいた。


「な、なんですか銀さん!ちょっと言ってみただけじゃないですか!・・・そんなに連れて行きたくないんならついていきませんよ・・・」
「そうアル!山盛りのご馳走なんかちっとも興味なんかないネ!ゼンッゼン無いアル!!」
「てめ、ちょっと言ってみただけって、まだ結婚式の話かァァァァ!!」

「・・・・・・え?違うんですか?」
「・・・・・・え?違うアルか?」
「ち、違いますーう!アレ、なんか目から汗が出てきた」







「君タチねー・・・主人公の誕生日くらいね、覚えなさいよ」
「しりませんよ銀さんの誕生日なんか・・・なんだ糖が二つとかうまいこと言ったつもりか?!大体この漫画、サザエさん方式で齢とらないんじゃなかったですっけ?」
「そうアルよ!サザエ様に逆らったらバチが当たるネ!」
「誰だよサザエ様って・・・。あのね新八君。誕生日は来るの!かつ、齢はとらないの!オーケー?」
「何こどもみたいなこと言ってんですか・・・。大体誕生日が嬉しい齢でもないでしょーに」
「甘いな新八。誕生日っつったら糖分がつきものでしょーが。バカだねー」
「バカって・・・!っていうか銀さん自分の誕生日ハートで囲んでたんですかァァァ?はーずーかーしー」
「フハハハハハハ聞いて驚くなよ新八!実は銀さん今日な・・・・・・!ん?・・・・・・あ、あ、あああああああああああああああ!!!」
「な、もう!うるさいですよ!今度は何ですか?!」
「ちょ、ソレ、マジで?マジで今日?10日?」
「新八、銀ちゃんがおかしくなったアル」
「もとからだよ」
「ソレもそうアルナ」

「ちょ、やべ、お前らちょっと出てけ!神楽も新八ん家行って来い、可及的速やかに!」







当分帰ってくんなよー、とわけもわからず追い出された新八と神楽は酢昆布をかじりながら志村家へと歩き始めた。


「銀ちゃんめ!酢昆布一箱で私が満足すると思ってんのかコノヤロー」
「まったくだよ・・・。神楽ちゃんはともかく僕は特に酢昆布特に好きじゃないのに・・・」
「じゃあてめーの分寄こせやぁぁぁ」
「どこの不良?!や、別に嫌いってわけじゃないからね」
「嫌いってわけじゃないだとォォ?!その程度の気持ちで酢昆布食べてもらっちゃあ困るねぇお兄さん。ってことで酢昆布寄こせぇぇぇ!!!!」

「新八ーっ!」


酢昆布を巡って壮絶な争いが勃発しかけたところに、上から銀さんの声が降ってきた。


「なんですかーっ?!」
「お前スーツどこやった?」
「スーツ?銀さんそんなの持ってましたっけ?」
「ホラ、長谷川さんの弁護士やったときのヤツ!」
「あああアレですか。押入れの中で見た気がしますけど」
「わかんねんだって!新八ちょっと来てみな」
「はいはい・・・わかりましたよ」


新八は溜息をつきながらカンカンと階段を登っていく。酢昆布は仕方なく諦めた。別に最初っからそんなに食べたかったわけじゃないしぃ。


「おう、新八こっちこっち」
「こっちこっちって、わ、なんですかコレ」


万事屋の中はもうもうと煙が上がっていた。
何かを焼く匂いがするわけでなく、これはおそらく、つもりにつもった埃だろう。
いきなり掃除に思い立ったようだ。新八は埃にむせる。


「ごほごほ、銀さん何やってんですかぁ?」
「万事屋銀ちゃん大改造ちゅーう」
「仕事速いですね・・・しかしなんでまたこんなことを」
「大人には色々事情があるんですぅ」








数ヶ月前。
長谷川さんのキン肉バスター裁判騒動を無事・・・・・・そう、無事!万事問題なく!解決した!坂田銀時はさっさとその場から逃げ・・・・・・いや、ずらかっ・・・退さn・・・退きゃ・・・立ち去り、今日はもう一日家でのんびりを決め込んでやろうと家路を急いでいた。
首を圧迫する慣れないネクタイが息苦しく、結び目に指をかけて外そうとしたとき、大通りの中に懐かしい気配を感じた。

「あ」

心臓が跳ねる。人混みの中でさえくっきりとした雰囲気、それでいて、今にも消えそうな。『あのひとたち』、特有の。
銀時はネクタイから指を離し、歩を休めないまま目を凝らした。

―――みつけた。

きゅーっと胸が締め付けられる。一瞬呼吸が止まったのが分かった。
太陽を包んだ雨雲の色に光るたっぷりした長髪を(ヅラみてーだ、と思ってすぐに思い直す。そうじゃなかった)かすかに揺らし、おだやかに、ふらふらと頼りなく、しかしどこか綺麗な動作で歩く、慕い慣れた背中。
すっと伸びているのにちっとも気負わない、薄墨色の着物に包まれた背中。
大勢の人間に溶け込んでいるのに、まるでそこだけ別の世界のようにも感じさせる背中。
そう、確か何度か、背負われたこともあったはずだ。

「先生」

そう呼んで走り始めたとき、頭の中にあったのはどちらの「先生」だったか。

先生」

今度はちゃんと名前で呼んで、軽く肩を叩く。
銀時を振り向いて、いぶかしげにひそめられた眉も、それでも軽く笑んだかたちのまま口もとも、

「・・・銀時ですか?」

ふわ、と明るくなる顔色も、語尾まで丁寧に音が吹き込まれたような口調も、何より、その髪の色が、顔立ちは全く似ていないのに、そっくりそのまま、

先生、その髪は」
「ああ・・・・・・いつの間にかこの色に」

ああ、笑い方まで。昔から同じ雰囲気を持つ二人だとは思っていたけれど。

「銀時は、立派になりましたね」

もう一度ゆっくり笑ったに、銀時は今の自分の格好を思い出して恥ずかしくなった。伊達眼鏡に手をやって、外すべきか外さざるべきか、それで頭が一杯になっては、いや、それどころじゃないと我に返り、とりあえず名刺を渡して近況をしらせようかと考えながら渡した名刺は、ふざけてつくった『弁護士 坂田銀時』のものだった。
銀時は、に渡した名刺を、冷や汗を流しながらまじまじと見つめる。

「良い、仕事ですね」

感心したように頷くは、もしかしたら松陽のことを思い出しているのかもしれなかった。








は、はじめから、誰よりも先に、松陽の隣にいた。
幼いころ銀時は、先生と松陽先生は結婚していると信じて疑わなかったし、成長してからも、籍は入れてないかもしれないが、似たような関係だろうと考えていた。
お互いの、お互いに対する信頼の深さ、依存の強さは少し常軌を逸したものだった気がする。決していつもベタベタしているとかそういうことはなかったが、この二人が一緒に生きていないところなんて、想像できなかった。

実際、あんなことになるずっと前だが、塾生たちで、もしどちらかが死んだとしたら、残された方はきっと生きていけないに違いないと噂しあったことがある。
そして、自分達が大好きなこの二人が、ずっと仲良く一緒にいられるように、もっと強くなろうと、各々決意したものだ。
もちろん、生徒を指導する松陽の剣捌きは、熟練と天性を感じさせるなかなか手の届かないものであったし、よっぽど長く共にいたのだろう、見よう見まねで、といいながら時折何気なく手本を示してみせるの剣筋さえ、美しく、また、力強いものであったのだが、いかんせんこの二人はやさしすぎ、人を傷つけるという動作がおよそ似合わなかったのだ。

そのころ、の髪は真っ黒で、来ている服もいま少し女らしいものだった。

は松陽の思いつきをいちいち感心しながら丁寧に聞き、松陽はの考えが自分と異なったときは、勢いよく食いつくのだった。
「なるほど、それは素敵な考えですね」「確かに、それも一理ありますね。新しい観点を発見できました」

漢詩でも論語でも孟子でも兵法でも農法でも、松陽と対等に、そして真剣に議論しあうの姿に、幼い銀時は何の疑問も覚えなかったが、は時々思い出したように(特に剣術を教えた時などは)、「家の方には松陽先生に教わりましたと申し上げなさい」と言っては、少し眉をよせて微笑んでいた。




あの日。
松陽が死んだ日。

松陽が捕まってからは、が松陽に代わって全てを教えていたのだが(とは言ってももう既に塾生は激減していた)、の語る声は途切れがちで、油断するとすぐに意識をどこか遠くに飛ばしてしまい、なかなか授業にならなかった。
今考えてみると、おそらく収入は無かったはずだ。銀時はもとより、塾にまだ通っている子ども達のほとんどは、親に黙って来ているか、親の反対を押し切ってきている者たちだった。松陽が引っ張って行かれる時には総出で抗議してくれた村の人たちも、松陽が囚人となってからは手のひらを返すように冷たくなった。
はまだ若く客観的に見れば気の毒であり、かつては松陽ともども近所の人々の尊敬を集めてもいたので、確かに会話は減ったが村八分にされたわけではなく、畑で育てている野菜との交換で大抵の物は手に入ったし、銀時も稼ぎはじめていたので、銀時とが生活に困る事はなかった。

朝の郵便配達に江戸からのしらせがまじっていて、封を開ける前は、幕府を通して届けられた、きっと松陽先生からの近況であるに違いないと銀時は思った。
封書はまずに見せるのがきまりだったので、のところへ持っていく。はいくら銀時が早起きしても先に起きていて、いつ寝ているのかと銀時は常々疑問に思っていたのだが、その日も松陽と共同の書斎に朝からこもって、書物を掘り返しながら読みふけっていた。

先生!松陽先生からの手紙も入ってる」
「松陽先生から、ですか?」

首をかしげながら封書を受け取ったの手は、いつもの優雅な手つきのまま、指先がかすかに震えていた。銀時はその指から、別の可能性を悟ってしまう。良いしらせだとは、限らないのだ。
は封筒をはさみを使わずに手で破き、中の紙を取り出そうとして止めた。紙だった。便箋ではなく。

「銀時、しばし、外に出ていてください」

柔らかな丸みが語尾から失われるのが忍びなくて、銀時は一瞬躊躇したあと、静かに部屋の外に出た。



「銀時、私は江戸へ上ります」

旅支度をすっかり整えたが言った。

先生、俺も」
「私が立って、一刻過ぎたら、書斎にしらせの写しがありますから、それを読んでください。銀時一人でも、皆とでも構いません」
「今、一緒に」
「銀時は、ここに残ってください」
「・・・っなんでだよっ」
「ここには、銀時が必要です。私達はあなたたちに教えられる限りのことを教えてしまいましたが、この建物には、大切な物がたくさんあります。銀時、この塾を守ってください」
「でも」
「銀時」

たしなめるようにが銀時の名前を呼ぶ。

「銀時、頼まれてくれますね?」

銀時はうつむいた。
こうなったときの『先生達』は、てこでも動かない事をしっていた。いつもはすぐ折れるくせに、ふとした瞬間に頑固になる。いくら頼んだっては連れて行ってはくれないだろう。
しかし、銀時は、とこのまま会えないかもしれないということも分かっていた。十中八九『アレ』は悪いしらせだったに違いない。もしかすると、本当に一生会えないかもしれない。
それで自分はいいのか。
このまま、先生達と、先生と、一生会えなくてもいいのか。

目をつぶった。

先生のお願いだ。
これまで受けた事のない。多分、これから先も。今までの恩を返すチャンスじゃないか、銀時。

銀時は目を開く。いつの間にか、すっかり自分より小さくなってしまっていた体を引き寄せた。
思い切って背中に手を回す。肩に額を預け、ぴったりと体を合わせた。この体を忘れないように。この人を失くさないように。きっと、いつか、また、こうやって抱き寄せることができるように。

「わかった。俺はここを守る」
「だから、絶対ここに、帰って来てくれ」

抱き寄せる前からだろう強張っていたの体からふぅっと力が抜けた。腕が銀時の背中に回って、一度だけ力が込められる。

「帰ってきます。きっと。必ず」


そうしてしっかりした足取りで歩いていくの後姿を振り切るように塾に駆け込んだ銀時は、長く後悔し続けることになる。









そのが、いま目の前にいる。
見失ってしまったと、永遠に失ってしまったと思っていたが。
銀時とてもちろん探すのに手を尽くさなかったわけではない。どうしても見つからなかった。噂さえ聞かなかった。完全に諦めてしまったつもりはなかったのだけれど、しらずしらずのうちに諦めてしまっていたに違いなかった。
だって、こんなに驚いている。口も利けないくらいに。嬉しいより先に、酷く驚いている。

そうですか、弁護士ですか、と言いながらにこにこと銀時の姿を改めて眺め始めたに、銀時は徐々に頭に血が上っていくのがわかった。と、いうより、姿を見つけた瞬間から既にオーバーヒート状態だったのかもしれない。
どう考えてもいつもの自分ではない。
弁護士のことは間違いだと訂正しなくてはならないはずなのに、どうもうまく説明できない気がして、喉元でつっかえてしまう。
天下の口八丁野郎がどうしたことだ、と今までの自信が崩れていく気がする。
それでも何か言わなくてはと口を開こうとした銀時をの声が制した。

「もう少し話がしたかったのですが、銀時」

困ったような声に目線を辿ると、昼日中からハッスルしている真選組副長様がいらっしゃった。人混みを掻き分け、猛然と突き進んでくる。、
なんだ追われているのか、と銀時は拍子抜けした。
真選組ごときが見つけられるのに、なぜ自分は見つけることができなかったのだろう。

「先生は逃げろ。引き止めてやっとっから」

やっとにやりと笑ってみせる。は目を見張って、すぐににっこりと笑った。

「さすが銀時ですね」

銀時の口調から真選組と単なる追う追われるの関係ではないと察したのだろう。

「いいから早く」

今日は会えて嬉しかったですとの口が動くのを捉えて、銀時はゆっくり土方に近づいていく。









ぴんぽーん

銀時は今日何度目かになるチャイムに腰をあげた。
今日に限って来訪者がやけに多い。

茶でも飲まないかと和菓子を持ってやってきたヅラに茶を与えて追い払い、式場のパンフレットを大量に持ってきたウエディングドレスのさっちゃんを真剣に帰ってくれと諭した後、「真選組から」となぜか手土産を携えて恋のお悩み相談にやってきたゴリラを瞬殺で叩き出した。
もうへとへとだ。俺の知り合いなんて疲れる奴ばっかりだ。

もし今度も違ったら相手が誰であろうと一発殴ってやると思うが、つい毎回期待してしまう。
スーツの裾をぱっと払う。眼鏡の位置がやたらと気になる。撫で付けてもどうしようもないとわかっている天パに手をやりながら、銀時は玄関に向かった。

「はい」

ヅラには何かおかしいなと言われた。あのさっちゃんですら戸惑っていた。ゴリラはもしや坂田さんバージョンか?!とわけのわからないことを言われた。
ずっと話していない先生。敬語を今更使うのも変だとわかっているが、敬語を使わずに自然に話せるかどうかわからない。ただ、せめて、客には丁寧に挨拶「できる」奴なのだと思われたくて。






数週間前、から手紙が来た。
が好みそうな趣味のいい封筒に、万年筆だろうか、美しい字体で銀時の名前と万事屋の住所が書いてある。封を切るとふわりと香が香った。封筒を逆さにすると便箋より先に紅梅の文香が出てくる。
『銀時へ』
そう始まっている手紙は、会えて嬉しかった由、真選組から逃がしてくれたことへの礼、それから恥ずかしくなるくらいべたべたと銀時を褒める言葉が連ねてあり、相変わらずの親馬鹿だと銀時は思った。
最後に、今度の銀時の誕生日にでも、事務所に伺わせてくださいと書いてあって、その言葉が、今日の騒動全ての原因なのだった。






深呼吸をして、扉を開ける。
しらない女が、背筋を伸ばしてそこに立っていた。気持ちの上では溜息をつきながら、銀時はアドリブを述べる。

「スンマセン今日はウチ休ぎょ・・・・・・先生?!」

濃い草色が肩から裾へ向かって白みがかっていく振袖には、椿の花が散らしてあった。赤い帯と椿の赤が目を引く。冬の月の色の髪を潰し島田に古びたかんざしで結い上げて。
は銀時の顔をちらりと見て、照れくさそうに微笑みながら目をそらした。

「このあたりは、真選組が回るのでしょう?」

彼らが探しているのは、吉田松陽ですとは言う。







銀時とは、なんとなく一つのソファに並んで座っていた。

「銀時に会った後、塾生たちに沢山会いました。まるで、銀時が皆との出会いを引き寄せてくれたようで」

が記憶を辿るような顔をしながらゆっくりと言う。
ちりりと銀時の胸の奥に焦げるような痛みが走った。俺はここに居るよ。そう思いながらの横顔を見る。

「銀時と仲の良かったあの二人にも会いました。二人ともまるで変わっていない」

それは、あいつらが変わっていないのではなくて、あなたがあの頃に戻してしまうのだ、と銀時は思う。そうして『昔のまま変わっていない自分』を演じようとしてしまう。が存在するというその事実は、それくらいの力を持っていた。

「先生、俺は?」

口に出した後、語尾のとろとろした甘ったるさにぎょっとする。俺は昔、この人に対してこんなだったか。

「銀時は、変わりましたね」

おだやかな微笑を浮かべたまま、は言った。

「少しですが、たぶん、よい方に」
「どんなふうに?」
「とても、大きくなりました」

そんなことはない、頭の隅で声がする。そんなことは全くないのだ。
でも、この人からの賛辞であればなんだって、肯定してしまいたくなる。

「銀時」

ふわりと風が起こって、気がつくと、細い腕が体に回っていた。
心拍数が跳ね上がる。恐る恐る片腕を上げて、の体を包み込む。

「ただいま、帰りました」

肩口に、あたたかい息を感じる。このひとは、生きている。確かに、今。

「おせーんだよ」

声が掠れた。銀時はもう片方の腕も上げて、ぎゅっとを抱き込んだ。
その瞬間、罪悪感が湧き上がってくる。俺は、この人との約束を守れなかった。この人の帰る場所を守れなかった。だから、遅いと責める権利は、どこにもない。
でも、今は、そうやって答えるのが、正しい気がした。そして、こうやって抱き合っているのが、一番正しい形のような。
正しい形のまま、銀時は懺悔する。

「俺は、何一つ守れなかった。大切だと思っていたものを、何一つ」

あの日と少し体勢をかえて、銀時は呟く。の髪の香油の匂いがする。

「銀時は、守ってくれたではありませんか。私たちが、一番銀時に守って欲しかった物を」

は顔を上げて、銀時と目を合わせた。


そのとき。


「いや、神楽ちゃん今はまずいよ」
「ソレくらいわかってるネ!この駄眼鏡!でも今入っていかなかったらいつ入るアルか?いつまでも入るに入れない状況になるかもしれないアル。状況は悪化するかもしれないアル。今のうちに入っておくのが得策ネ」
「あー・・・それもそうか・・・」
「一回玄関まで引き返すアル。それからもう一回ガラガラって言わせてドア開けるネ」
「いえっさー」

が目をしばたく。銀時は苦笑いをしてみせた。これが今の俺の家族なんですよ。

「先生、実は俺、弁護士じゃなくて」
「万事屋でしょう?」
「・・・しってたの?」
「銀時こそしっていましたか?ここの看板『万事屋銀ちゃん』になっていますよ」


なんでそんな基本的なところを!折角法律関係の本引っ張り出して並べたり、掃除しまくったり、ああ、俺の苦労よ!
それにしても随分お若いお仲間ですね、とがのんびり呟いて、銀時は次第にどうでも良くなった。
の声から一呼吸置いて、引き戸の音が盛大に聞こえた。


ガラガラガラッ!

「「ただいまー」」

二つの声が綺麗に重なる。が耐え切れずにくすりと笑った。
二人がわざとあれこれとしゃべりながらゆっくり靴を脱いでいるのがわかって可笑しくなる。

「銀時、離して下さい」
「いーじゃねーか」
「お二人に悪いでしょう」

の顔があんまり真面目なので、銀時はしぶしぶ離した。
タイミングをはかったように、新八と神楽が玄関を上がってくる。

「誕生日に何も無いのもアレですから、饅頭買ってきましたよ・・・・・・あ、お客さんでしたか、銀さんちゃんと接待やれてます?お茶受けストック切れてませんでしたっけ?・・・・・・っていうかなんですかその格好」
「マダオがまた犯罪おかしたアルカ?まったく駄目な岡崎味噌ネ」
「今すぐ愛知の皆さんに謝りなさいいいいい!!」

ガラガラガラッ!

「銀時っ!今度はけーきを買って来たぞ!そうへそを曲げるな」
「銀さんっ!ウエディングドレスじゃ嫌なのね?そうでしょ?白無垢の打ち掛け派なんでしょ?」
「万事屋ぁぁ・・・総悟から絶対渡して来いって言われたからもう一回持ってきた・・・もう追い返さないで置いたら帰るから」
「おぅ銀の字、おめーさん誕生日だってな。つまみもってきてやったから酒呑ませろや」

桂とさっちゃんと近藤が戻ってきた。
源外が増えているのはどうしたことだろう。銀時は呆然とする。

「ああ、桂さんと源外さんには朝会って、僕達が教えたんですよ」
「真選組にも言ってきたアル。食料はあればあるだけいいネ!」
「お前らなー・・・。銀さんが自分で誕生日触れ回ってるみてーでかっこ悪いでしょーが」
「アレ、銀さんって大体そんな感じですよ?」

そーかお前そんなに殴られたいかと言ったら嫌ですよ、と言って笑いながら新八は台所に消えた。
お茶を入れてくれるのかもしれない。

「おや銀時、結婚するのですか?」

が面白がったような声を出す。しかし同時にそれは少し不安の色も乗せていて、もしかしなくても自分の片思いばかりではないのかと銀時は心臓が温かくなるような気がした。
銀時はにやけながらの顔をもう一度見て、記憶どおりであることを何回も確認する。確かにこの人は先生で、俺の長年の想い人だ。そしてやっと、その顔が『記憶どおり』すぎることに気づいた。

「・・・先生、若くね?」

はきょとんとした顔をする。そして少し不満そうな表情を見せた。

「どうせ銀時も、私が10以上年上だと思っていたくちでしょう」
「え」
「本当は女性に齢を訊ねるのは失礼だと言いたい所ですが、ずっと誤解されているのもしゃくなので言っておきます」

は銀時を睨むようにする。

「私は銀時の5つ上です」
「はぁぁぁぁ?!」
「見えませんか」
「いや、今は見えるけどよ」
「ちなみにあのひとの伴侶でもありません」
「伴侶・・・ああ、確かに、ソレ、そうだったら先生ひでーロリコンだもん」

「ところで銀時」
「ん?」

上機嫌で銀時は答えた。五歳下なら、充分恋愛対象内だよな、先生?

「結婚するのですか?」

今度は確かな笑みを含んで。

「してもいーな。アレとじゃないけど」


慣れないスーツを着たのは、事務所を大掃除したのは、
あなたには、かっこつけてみせたいから。

そして看板を換えるのを忘れたのは、新八と神楽にいつまで帰ってくるなとしっかり言わなかったのは、

あなたには、ありのままの自分をしっていて欲しいから。







だって好きなんだもん






先生、今日はなんでそんな綺麗な着物着てんの?」
「ですから、真選組対策ですよ」
「それだけ?」
「そうですね、銀時を驚かせたかった、というのもあります」


似合いますか?と真剣な口調で言ったは、次の瞬間はらりと笑い解けて、それが銀時には、とても美しく見えた。













『だって好きなんだもん。』/さかたん2009様提出//091010/ 銀さん誕生日おめでとうございます。//空野蛙