「うわやっべ寝坊した!」

始業15分前に自宅のベッドで目を覚ました潮江文次郎十五歳―絶賛受験生中―には、腐れ縁の幼馴染がいる。

「文次郎、今日も見事な隈だな」

立花仙蔵。
部活の朝練がある午前5時、遅刻寸前の午前8時20分、どんな時間に家を出てもなぜか「偶然」鉢合わせる恐ろしい人物である。
そして立花仙蔵には二歳下の妹がいた。

「文ちゃんっ!おはよう!」

せせら笑っている兄とは大違いの、きらきらした笑顔の妹、立花
仙蔵や文次郎とは頭一つ低く、ふわふわした髪を今日は二つに結んでいる。
きゅるんと大きな目を細めてにっこり笑う姿は、まるで天使か妖精のよう。
強い天然パーマを持つこの年頃の女子は二種類に分けられる。一種類目は(これがほとんどなのだが)、どんなに人に羨まれてもコンプレックスを消しきれず縮毛矯正におもむく人種。そして希少な二種類目は、その髪が魅力的で、かつ自分に似合っていて、天然パーマを上手く利用する事で自分の可愛さが際立つ事を知っている人種である。
もちろんはその希少な後者だった。

「おはようは今日もかわいいなー」
「ありがとー文ちゃん」

首をちょこんとかしげて、今度は小さな口をぱかっと開けて、あははーと声を立てて笑う。その笑顔に、口の形に、文次郎はいつもきゅんとしてしまう。
しかしながら文次郎は、もまた、どんな時間に家を出ようと家の前で待っていることは、すっかり失念しているのであった。

「文ちゃん、今日はお弁当作る時間なかったでしょー?が二つ作ってきたから、一緒に食べよう?」
「ほんとか!それは嬉しいな」
「なんだお前ら、一緒に食べるのか?なんなら私も参加せんことはないが」
「仙ちゃんは黙ってればいいと思う」
の弁当はうまいからな!楽しみにしとくよ」

の、仙蔵に対する氷点下30℃の声は聞こえないらしい。都合のいい耳である。

わかっているか?私は文次郎と同じクラスなんだが」
「それが?」

は、ハンッとそれこそ兄にそっくりな嘲り笑いをして、20cmも高い兄の顔を見下すように(どのような構造になっているかは謎だ)短く言葉を返す。
それからぱっと身を翻すと、先を歩く文次郎の腕に絡みつくように歩き始めた。

「文ちゃーん」
「ん?なんだ?」

はよんでみただけー、と言って、えへへ、と少し照れたように笑う。
ずっきゅん。
そんな音が自分の胸から聞こえた気がした文次郎は、そうとうおめでたい頭をしている。彼に掛かればどんな人生もバラ色ライフである。
文次郎の顔を満足そうに見上げて、はちらりと仙蔵に目をやる。
『へっへー、うらやましかったらやってみやがれクソ兄貴』
かっちーん

仙蔵はつかつかと前の二人に追いつき、無言での頭を掴んだ。指先にぎりぎりと力を込める。

「やだぁ、痛いよ仙ちゃんなにすんのっ?!」
「ちょ、アホか仙蔵。お前アホか。が何したって言うんだ」
『こんのアマっ・・・・・・!』

怒りでプルプル震えながら学校にいくはめになるのも、仙蔵にとっては日常だった。






キーンコーンカーンコーン
「きりーつ、れーい」
ガタガタガタガタ

午前の授業が終わった。
数人がすぐさま教室を出て行く。残りは弁当の用意を始める。

きっかり三十秒後、三年い組のドアをは開いた。潔癖症気味の仙蔵は、昼食の前に手を洗わずにはいられない。
だから仙蔵が教室を出て行き、帰ってくるまでの間を狙ってこなければならないのだ。

「文ちゃーん!」

弁当二つを持って、文次郎のもとに駆け寄ると、文次郎は一瞬驚いた顔をした後、すぐににっこり笑った。

「よし、じゃあどっか食べに行くか?」
「うん。仙ちゃんのしらないとこがいいなー」

ははは、と文次郎は笑ったけれど、もちろんは本気である。

「そうだな・・・体育館裏とかどうかな・・・」
「うんどこでもいーよ!早く行こう!」
「仙蔵を待たなくていいのか?」
「いーのいーの」

はあきれをのみこんで、明るく返事を返す。文次郎の鈍さにはとてつもないものがあると感じる事もしばしばだが、きっとそれも文次郎のいいところなのだ。
教室を出ようと文次郎の腕を引っ張ると、先ほどからちらちら二人を見ていた女子生徒が近づいてきた。

「わー、かわいー!潮江くんの妹ー?」
「ん?まあ妹のようなも・・・」
「妹じゃありませんけど」

は文次郎の腕をぎゅっと両手で掴みながら、上目遣いに睨みあげる。
の文ちゃんに近づくんじゃねーよ。

「え?あ、そ、そなんだ・・・」
「文ちゃん、早く行こうー?」
「はいはい」

もうここまで来ると鈍さも犯罪級だ。の牽制に当てられた女子生徒は、しばらく呆気に取られていた。









「はい、これ文ちゃんのぶん」

は最後に甘ったるくハートをつけて文次郎に弁当をわたす。

「せんきゅな」

にこにこ笑って文次郎が頭を撫でてくれる。の至福の時間だ。

「えへへー。デザートもあるんだよー」

デザートぉッ!?と、ちょっと声が裏返るくらい喜んでくれる文次郎がは大好きだ。ちゃんと文次郎の好きなものもわかってるし、かなりレベルの高いものを作る事ができるまで一生懸命がんばった。でも一番喜ぶのはやっぱりプリンだったから、今日もプリン。プリンは固めに、甘めに。カラメルは焦げ過ぎないように、一番甘いところをきっちり見計らって。添える生クリームの甘さにもこだわった。

「ああ、もう俺、大好き!」
も文ちゃん大すきー」

ぺったりくっついて仲良く弁当を食べる。
この距離が許されているのは、『妹のような存在』だからか、それでもいい。今は『妹』でもいい。こんなに幸せだから。

、美味しい」
「わ、ほん・・・」
ーッ!」

の声を耳障りな音が破る。全く兄と言うものは、どうしてこう邪魔なんだろうか。がうんざりしながら声の元を見ると、仙蔵がずんずんと歩いてきていた。しかもお供つき。
二人の女だが、片一方は見たことがある。確か仙蔵の彼女を気取っている女だ。としては彼女面してくれている方がありがたいのだが(その分文次郎を独り占めできるから)、と文次郎の憩いの場にまで現れてくるとなれば話は別だ。それにもう一人は誰だろう。

「邪魔するぞ」
「ほんっとに邪魔」
「あぁ?!大体な、なんでお前は文次郎に作って兄には作らんのだ」
「仙ちゃんに作る意味はどこに・・・・・・?っていうかなんで部外者連れて来てるわけ?」
「知るか。勝手に付いてきたんだ」
「あ、仙蔵ー!勝手になんてひどぉい!」
「勝手だろぉが」
「あたしは別に仙蔵となんて食べたくなかったんだけどぉ、この子が潮江くんと食べたいって言うからぁ」

『潮江くん』の単語に今までその人たちを極力みないようにしていたと仙蔵がぎんっとそちらを睨む。
そして同時に立ち上がり、すたすたと文次郎から離れて、仙蔵とは早口で会議を始めた。

「仙ちゃん、アレ誰?」
「知らん」
「知らないの?!マジ使えない奴!」
「追い出せば同じだろう」
「ま、それもそーだ。さあ追い払え仙ちゃん」
「お前も協力するんだろうな?」
「どうしても必要だったらね。上級生といざこざ起こしたくないもーん。その点仙ちゃんは大丈夫。『一部の』女子には人気あるじゃん。あの人とか?」

「ホラも仙蔵も二人で話してないで戻ってこいよー」

文次郎がのんきな声をあげた。隣にはちゃっかりあの女が腰を下ろしている。

「大体仙ちゃんが連れてきたんじゃん。このままあいつらが腰を落ち着けたら百パーセント仙ちゃんのせいだから!」
「事の発端はお前が文次郎を勝手に連れ出したことだろう!」
「仙ちゃんがその気もないのにあの人に気を持たせとくから悪いんだよ」
「あいつが勘違いしてるんだ私は精一杯・・・」
「ハイ言い訳ー。ま、とりあえずの敵はあの女でしょ。の文ちゃんを狙うなんて許せない」
「誰がお前のだ誰が」

そして兄妹は同時に文次郎たちに向き直り、すたすたと同じ速さで文次郎のもとに戻る。さすが兄妹である。

「先輩ごめんなさーい。そこ、の席なんですよぉ」

は早速文次郎の横の女を剥がしに掛かった。いざこざを起こしたくないとは言っても、文次郎が他の女の隣にいるのは一秒だって許せないらしい。
女は表面上は比較的あっさりとに席を譲る。年上のプライドだろうか、そんなのにこだわってるといつか大切なものを取り逃がしますよ先輩とは思ったが。

「あなた、妹さん?」

女が小首をかしげる。悔しい事に、結構かわいい。いらつくことに、その質問は本日二回目である。

「妹じゃありません。お・さ・な・な・じ・み、です」


「早くそいつを連れて帰ってくれ」
「仙蔵ひどーい!乙女の恋心を踏みにじる気ぃ?」

はてこずっている仙蔵を早くしろと思いながら睨む。

「文次郎の幼馴染なの?家とか近いんだ?」

むっかー!こいつ文ちゃんのこと下の名前で呼びやがった!の文ちゃんのことを!

「そうなんです、ずうっと一緒なの、ね、文ちゃん?」
「うんうん」

文次郎はにこにこと笑いながらまたの頭を撫でた。は気持ち良さそうに目を細めてみせる。隣に座った女が表情を歪めるのを感じて心のうちでほくそ笑む。
そこではまた文次郎にくっついて、弁当を食べ始めようとするそぶりを見せてから、女の膝の上にのった弁当箱に目をとめて言った。

「先輩もたちと一緒に食べるんですか?」

はきゅるん、と上目遣いもたっぷりに、きっと先輩には花が舞っているように見えるはずの表情を作った。そうしてじぃっと見つめた後、文次郎に向き直って、「文ちゃんホラあーん」と自分の箸からたこさんウインナーを文次郎の口に突っ込む。文次郎はごくりとそれを飲み込んでから、「も」と甘い声とともにプチトマトを食べさせてくれた。
それを見て先輩は赤くなったり青くなったり白くなったりした後、ぱっと立ち上がり、と文次郎を見下ろすようにして、ぼそっと呟いた。

「へー、文次郎ってロリコンなんだ。幻滅」

はトマトをよく噛み、ごっくんと飲み込んで、水筒からひとくち水を飲んでから言った。

「違いますよ先輩。文ちゃんはロリコンじゃありませんよ」
「そうなのか?」

文次郎がびっくりしたような顔でを見るので、はおかしくなった。

「えー、文ちゃん自分のことロリコンだと思ってたのー?なんでー?」
「えっ、そりゃ・・・あぁぁー・・・・・・その、なぁ・・・」

徐々に赤くなっていく文次郎の顔を、はわくわくしながら眺める。こんなに幸せな気分になったのは、久しぶりだ。

「だって文ちゃん、幼稚園生の子どもとか見て、よくじょーする?」
「はぁぁぁぁぁ?!しねーよ!」
「じゃあ、ロリコンじゃないんだよー」
「でもなぁ・・・」
「文ちゃんは、ただのことが大好きなだけなのー。ね?」

ほら、おべんと食べよう?と言って弁当に意識を戻させる。そうすればもう大丈夫。全部元通り。
先輩は憤慨して急いで帰っていく。

「おとといおいでー、だ」

こっそり悪態をついては弁当をまた食べ始める。

、がんばったおにーさんに対して言う事はないのか」
「ありませーん。今回はと文ちゃんのお手柄でーす」
「え?お手柄?何が?」
「まあまあまあ」

はきらきらと笑った。











オニキス―――手中にある成功
「仙ちゃーん、、文ちゃんと付き合うことになったからー!」
「くっそう私だって女装すればかなりのものなんだぞ」
「残念でしたぁ、日本の男の半分はロリコンなんですぅ」
「あ、お前、言ってることが違うじゃないか!」













『オニキス(手中にある成功)』//20091025//『キラキラ恋し』様へ//空野蛙